おはようございます。
今日もとってもいい天気で、気持ちのいい朝ですね。
私は産後の抜け毛がひどくて軽くへこんでいます。
今日の授乳のおともは、ゴリゴリのラインナップ。
真面目な本です。
親って絶対的な権力者ですよね。(突然
子供から親への愛は無償の愛で、めちゃくちゃ愛してくれて、必要としてくれて。でもそれは、子供は親に頼るしか生きていけない存在だから。
家庭ではどうしたって親が権力者になってしまうので、なるべく対等であるように心がけているんですが、たまに(いやわりと?)イラぁぁってなって、冷たい態度をとってしまったり…反省する日々です。命令口調にならないように意識しすぎて、昨日の夜は太鼓持ちの痛いサラリーマンみたいになってました。
「ぽん先輩!おきがえお願いします!」
「よっ!自分でボタンとめられるなんて、ねーさんさすがですね!」
対等を履き違えてる。(先輩!とか姉御!とか言いたいだけのやつ。)
娘がお友達にあげるー!と書いてたカード。めちゃ可愛いのに何か気に入らんかったのかゴミ箱に捨ててた。職人か。
子供は親とは別の人格を持っていて、親の所有物ではない。当たり前なんですが、当たり前じゃない時代もあって。
「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!」は、そんな歴史を紐解いてみたり、社会にはA面とB面があって、子どもを産んだらA面とB面を行き来することになるからしんどい、とか。上野さん、田房さんの切り口が面白かったです。
「働くママと子どもの【ほどよい距離】のとり方」にも歴史を振り返る章がありました。平塚らいてうが「子育ては国家的な仕事」と唱えたのは新しいハイカラなものだった、とか。それに対して与謝野晶子は「子どもは子ども自身のもの」と言っていたとか。名前くらいしか知らなかったけど、子育てと社会にモヤモヤしてきた女性達の視点が面白かったです。
この本は精神科医や看護師さん、社会学や心理学の大学教授、カウンセラーの方々が、それぞれの立場から寄稿されていて、読み応えがありました。最近読んだ中野円佳さんも出ていらっしゃいました。
子育てにおける母親の役割を過度に強調する傾向に対して、子育て中の親の義務感を、きちんとした裏付けとともに拭い去ることを心がけて作られた本だそうです。
といってもそこまで固い本ではなく、柔らかい文章で読みやすかったです。子どもを預けることになんとなく罪悪感を感じてしまう子育て中の親へのエール。
「子供の中には自分から育っていく力があり、それを信じて子育てすれば良い」ということを事実と実例を挙げて説明してくださっています。
著者達が伝えたいのは、まず何よりも「母親が子供のそばにずっといることが必ずしも親と子の将来の幸福を約束するわけではない」と言う当たり前の事実。
1作目を捨ててすぐ書いたのがこちら。トーマスと魔法使い。明らかに画力落ちてる。しかも結局保育園には持っていかんかった。
親と子が幸せに暮らすには「ほどよい距離」が必要で、遠すぎても近すぎてもお互いをよく理解することができない。
以下は引用です。
科学的に正しい子育てなどというけれど、科学が絶対ではない事は少し考えてみれば明らかです。例えば1990年代前半はうつぶせ寝が良いとされていたのに90年代後半になると突然死との関連が指摘され仰向けに寝かされるようになりました。科学的な真実とは新たな実証結果が1つ出れば、たった数年でいつでも覆る程度のものなのです。
イギリスの著名な小児科医で、親と子の心理に深い造詣を持つウィニコットという人は、子供の健やかな成長にとって必要なのは「ほどよい母親」であると言っています。完璧な母親はかえって子供の成長を阻害する、一番良いのは最初は我が子と一体となり子育てに没頭するけれども、子供の発達に応じて少しずつ子供の欲求をとらえ損ね、応え損ねるようになっていく母親だと言うのです。母親も一人の主体性を持った個人ですから、別の主体性を持った我が子と衝突したり食い違ったりするのは当たり前です。完璧に答えてくれない母親に幻滅し、少しずつ失望していくことを繰り返しながら、子供は心が鍛えられ、欲求を我慢したり、言葉で相手に伝えたり、もっと広い世界に働きかけていけるようになるわけです。
子供が生まれ落ちた時からこの世への信頼感を築き、健やかな成長を遂げるために必要なのは、おいしい空気、自然の緑、毎日変わらぬ生活のリズム、安全な食べ物、安心を与えてくれる大人との関わりなど、子供を何重にも取り巻く環境の相対であって、消して「たった1人の母親」がそばにいることではありません。
親も子も、「ひとりでいられる力」を鍛える。
小島貴子さんの子育ての目標「自律して自立する」
「自立するが孤立しない」が素敵だなぁと思いました。丸パクしたい。
誰かに依存しなくてもとりあえず身辺のことが自分で対処でき、自分の心を自分でコントロールし、抱えることができ、自分を守ってくれる対象イメージが心の中に根付いていて、また実際に助けが必要なときにはそれを求められる誰かがいるという事。そのような力を獲得すると言う目標に向かっていくことが子育て。
カウンセラーの濱田智崇さんのこの言葉も良かった。
自分の中に「虐待の芽」が存在することに直面させられて、愕然とした夜もあったのです。大人の思い通りにはならない、しかも逃げることのできない子育ての世界に戸惑いながら、それでも何とかここまでやってきました。
子どもとほどよい距離をとりつつ、ひとりでいられる力を鍛えて、自分の中の虐待の芽に愕然としたときは、子育ては楽しいとき「も」ある、くらいの気持ちで、力を抜いて生きていきたいです。(急に終わった
\息子のお喋り語録/
(おっぱいの出が悪くてお怒りモード)
「ふんぎー!」
(カシャカシャ布が上手くお口に入らなくてお怒りモード)
「…(歌います!)ふぃー!!!ぷーえーい!」
(バウンサーで高速バインバイン)
感情ニュートラルだった仏の息子さんも、よく笑いよく怒るようになってきました。それでこそ人間。
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